帰れない者たちへ
私・・・気がついたら、この世に生を受けていたんです・・・。
気がついたら、泣いて、笑って・・・
気がついたら、仲間ができて、ケンカもして・・・
そして、お腹もすいて・・・。
産まれてくる時代も、場所も選べないんです・・・。
産まれてくることすら選べないんです・・・。
生を受ける前の時に帰る旅?
そんな都合のいいものがあるわけないじゃないですか・・・・・。
ただ、ただ、今日を、そして明日を・・・それだけ・・・。
それだけじゃぁ・・・だめなんですかね・・・・・。
せっかく手に入れた・・・
やっと受け入れられた・・・
私の生なんですもの・・・。
じいっと光の陰影の中に佇むミケ姐さん・・・。
この1枚を、無い頭でいろいろと考えながら夜更けに現像していたら
中島みゆきさんの「帰れない者たちへ」という曲がふと頭に流れてきました。
「帰れない歳月を 夢だけがさかのぼる・・・
足跡も探せずに 影と泣く十三夜・・・」
人間はなんでこんなにも後ろを振り返ってしまうのでしょうかね・・・・・。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
本当に、モノを想ってたたずんでいるふうに感じます。
生まれる場所さえ選べず、生まれることさえ選べない。
人間も同じなのでしょうけれど、
空いたお腹を満たさなければ生きてゆくことが出来ない。
ミケ姐さんたちにとっては、それが生涯の課題の殆どを占めるのかもしれないですね。
私は、中島みゆきさん好きなので、
彼女の歌詞の世界に入り込んで聞き入っては、思い切り自分を見下して、
いつか奮起できるまで、ど~っぷりしていることがよくあります。
そうですね。。
どうして振り返ってしまうのでしょうか?
振り返っても、過去は戻らないし、変えられないし、
思い出は今の自分をさらに苦しめるだけなのに。
投稿: すー姐 | 2008年3月16日 (日) 08時36分
>すー姐さん
こんばんわ〜。
日記の文章はちょっと別にして、
猫を観察していると、ものすごく楽しそうに仲間と遊びます。
また、未確認、怪しい猫たちへの警戒なんかも仲間同士、連携する様も見事です。
色々と見た感じでは、猫社会って意外と複雑・高度で
社交的な世界観、多様な生活観があるんじゃないかなと思います。
中島みゆきさんの曲で自分を見下してしまう・・・
う〜む、そ、それはすごい聴き方っすねぇ・・・ ( ̄▽ ̄;)
オイラの場合はどちらかというと
勇気ややさしさをもらえる気がして聴いています。
いいですよね、みゆきさん。
未来と、過去の意識をもつのは人間だけだという考え方があるみたいですが、
本当にそうなのでしょうかねぇ・・・。
でもなんだかんだと、後、振りかえっちゃいますよね・・・。
投稿: ピュンピュン丸 | 2008年3月16日 (日) 19時50分
度々、すみません。
家人の学校の校長先生は、折あるごとに、大脳構造の話をします。
猿と人間の遺伝子はホンのチョッピリしか、違わないのに、大脳構造は大きく違うと聞きました。
夢を抱いたり、過去を振り返ったり、そういう感性の部分は人間独特なのだというのです。
でも、
それだけでは量れない何か、動物達にもあるように思えることありますね。
ニャンコたちも、一匹でいるときよりも、仲間といると、心強かったり、嬉しかったり。
一匹だけになると、警戒心を抱き続けていなければいけないのかな。
もしかしたら、ホッとできる場所は、気まぐれで集まってくる仲間がいる場所なのでしょうか?
それと、未来の夢はないかもしれないけど、
過去の仲間を思い出すことがあっても不思議ではないような気がします。
中島みゆき
古くは、「時代」など、元気になれるためのメッセージソングの元祖ですかね?
投稿: すー | 2008年3月16日 (日) 20時50分
>すー姐さん
いえいえ、このような趣旨の内容にもかかわらず
コメントをいただいてありがとうございます。(∩.∩)
脳の機能という点で比べると人間のものは高度なのでしょうねぇ。
でも、どうなんでしょう、脳って解明されていないことの方が多いらしいですから
すー姐さんが書かれているように人間にはない、
動物たちだけが活かせている機能・能力があるのかもですね。
猫は本来は単独行動を好む動物のようです。
なので集団でいても、自分の落ち着く、落ち着かないの範囲があって
そこに進入されるとストレスがたまるようですよ。
もちろん遊んだりするときは仲間がいた方が楽しいでしょうし
そういう意味では多くいた方が、猫もいいのでしょうね。
みゆきさんの「時代」今聴いても全然色あせないっすよね。
肯定してくれる、という意味での元気ソングとしては
この頃からかもしれませんね。
投稿: ピュンピュン丸 | 2008年3月16日 (日) 21時55分
消し去ってしまいたいくらいに、思い出す度に辛くなるような過去でさえ
今の自分を形作るための糧であり、それ無しには今の自分は無い、
と思って肯定するようにしています。
といってももう一度過ちを繰り返してもいい、という訳ではないですが(^^;
ローキーな背景に、夕日のスポットライトを浴びて佇んでいる様子は、
彼女自身の舞台の上で、己が人(猫?)生を回想しているかのようです。
厳しい目つきは、彼女自身への厳しさの表れなのでしょうか。
投稿: chao | 2008年3月18日 (火) 00時07分
>chaoさん
こんばんわ〜。
そうですよねぇ、よく「そんなことは早く忘れて・・・」
なんて慰めや、自答で出る言葉ですが
良くも悪くも、事実通ってきた道・・・
そんなに簡単に忘れられませんし、それも含めての自分っすよね。
悔やんでいるだけでは始まりませんが、
忘れてしまっては、何のための出来事だったのか・・・。
この猫の撮影場所は、光の陰影、濃淡が激しく出るところなので、
オイラのへっぽこ腕だと大ハズシ量産状態です。 ( ̄▽ ̄;)
この1枚、なんとか意図してミケ姐さんの表情を抜き出せたかなぁ・・・っと。
野で暮らす猫たちの目は、説得力がある時が多々・・・。
このミケ姐さん、いつもとは違う輝きでした。
投稿: ピュンピュン丸 | 2008年3月18日 (火) 23時16分
こんにちは。
ときどき、どうして、両親の元に自分の魂が
生まれたんだろう。。。と思います。
それこそ幾つかの魂があって、
神様か何かの手にすくわれて、母の身体に、
落とされたイメージがあります。
投稿: kahiro | 2008年3月19日 (水) 15時45分
>kahiroさん
こんにちわ。
生命の誕生って不思議なことだらけですよね。
考えれば考えるほど?????だらけです・・・。
自分の魂と生・・・選ばれたものなのか、選んだものなのか・・・。
ただ、生の始点と終点ばかりを考えていると
ちっとも前に進めなくなるので、
あまり難しいことは考えてはいけないのかもですね。
投稿: ピュンピュン丸 | 2008年3月19日 (水) 17時19分